Flare

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昨日もいいフレア出てました。^^

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疲れた...

今日は仕事から直でお出かけ。
結構歩き回りましたよ。
青葉祭りらしかったけど、いろいろと用事があり見れず。
というわけで、人生にとかブログ書くのがってことじゃなく、単に歩き疲れたってことです。

そういえば、新人君が入ってきた。
2回目ぐらいに帰りに「どう、慣れてきた?」って聞いたら、ぱっと顔を上げて、「はい、疲れました!」だって。
「慣れてきた?」と「疲れた?」。
確かに似てるけどね。
まあ、声かけた目的は達しているようなのでよしとしましょう。^^

いいね、天気。

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『暑い~』って部屋にへたり込むぐらい散歩したくなるような天気。

ホッとした話

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タイトルほど和やかで共感できる話じゃないと思うんです。
そして、『何言ってんの?』って言われそうで怖いんですが、よかったら読んでやってください。
結論から言うと、昔からモヤモヤと考えていたことが『量子論』をかじったときに、ちょっとホッとしたって話。
そもそも量子論とは何ぞやという方もいると思うので、つたなく、正確性に欠く説明だとはおもいますが説明させてもらうと、『シュレディンガーの猫』のエピソードが有名なとってもちっちゃなちっちゃなことの話。
原子よりもちっちゃな話です。
そのちっちゃな世界を法則を研究しているのが量子論。
たとえば、陽子の周りを回る電子は陽子からの距離を自由に選んで回っているわけではなくて、いくつかの決まった距離のところを回っていて、エネルギーが増えたり減ったりすると、一個外側、一個内側の軌道に急に移動したりする。
徐々に軌道を広げるのではなく、ぴょんと別の軌道に移動する。
これが何故なのかとかいった話などもある。
それは本筋ではないので説明を省かせてもらって、重要になってくるのは物理的過程の不確定性です。
それらしくいうと、ちっちゃい世界では物質を構成するものがそこにあるかどうかわからなくて、誰かが観察することによって始めて位置が決まるみたいなことです。
見ていないときにはそれがある可能性がある確率の波が存在するだけで、位置は決まってない。
よくわからない話ですよね。
まあ、そうなんですがこの話を聞いてなんだかホッとしました。

科学が発展すればするほどさまざまな法則が発見され、原因から結果がいろいろな要素があるにせよ決まった結果になるように思えるてきます。
ということは、その法則を人類が解明できていないだけで、すべては決まったテーブルに則って動いているだけなのではないかと思えていたのです。
すべての始まりがあるのかどうかわかりませんが、その一点から始まったことが相互作用によってどんなに大きく複雑な事象を見せようと偶然性はなく、ただただすべてを計算できる計算機があれば計算できる。
だから、未来も完全に予測できてしまい、決まったことがただただ時間の流れととも進展しているだけのことがこの世界なのではないかと思っていたのです。
「あの時、風が吹いていたら自分は死んでいた」みたいぜんぜん違う結果になったということも、始めからのつながりで、気圧差などうまれず、そこで風は吹くことはなかったというように、自分の意思で決めたということも、自分が生まれる組成と育つ環境も決まりきっているわけだから当然、その決断をすることが決まっているわけです。
迷っているときに偶然に会った人のアドバイスで決断をガラッと変えたとしても、またそれもそこでその人に会うこともそれによってガラッと変えてしまうことも当然のことで偶然会うことが決まっていたということになりますよね。
もしこの話を読んで、まあどっちでもいいことを自分の決めたのと逆のことをしてやれと考えて逆にすることも、この話を見ることになったことが偶然ではないわけで、必然的に逆のことをすることが決まっていたというように、すべてのことが予定から外れることなく動いていくだけに思えていたわけです。
けれど、ちっちゃなちっちゃな世界であれ、観察者が見るまでそこにあるかわからないというのが世界を構成しているとなれば、そういうわけにはいかないですよね。
そんな決まりきった世界はいやだなと思っていたので、ちょっとホッとしたというわけです。
うまく伝わったかかなり不安ですが、まあ、ここまで読んでいる人もいないと思うのでいいですかね。
ちょっと、人からいただいたコメント読んでそんな話を思い出したので書いてみました。
お時間を割いてくださった方がいたらありがとうございます。