2013/08/17
悪鬼が登場し、物語は佳境へと進みだす。
悪鬼に追われ、早季はこれまで味わったことの無いほどの死を身近に感じているようだった。
自分が死ぬ。そのイメージがはらってもはらってもまとわり着いてくる感覚。
覚も同様であるようだった。
しかし、追い詰められた時の覚は以前にも増して冷静であるようだ。
早季は教育委員会を敵視し、だが、悪鬼を前にその妥当性にうなずかざるを得ない。
富子に知らせるまでは、まだ、何らかの対策が立てられると思っているようだが、それが容易ならざることであることも覚悟していた。
だが、富子は打つ手はないのだと言う。
「愧死機構」に加え、「攻撃抑制」がある以上、危害を加えようとすることすら難しい。
暗澹たる気持ちになる早季。
そして、町に悪鬼が姿を現したと噂が届く。
野狐丸が切り札を投入したということは最終段階と考えていいのだろう。
早季たちには抗えない。だが、富子に言われるままに清浄寺に行く以外に手はなかった。
あのバケネズミのミュータントで吹き飛ばされ、最早、唯一残された仲間である覚ともはぐれ、頼れるものなどない。
それにしても、野狐丸はなぜ切り札でありこれまで人間に対し秘匿し続けた悪鬼を、まず病院に投入したのか?
病院の人間を皆殺しにできると踏んでの投入かもしれないが、万事慎重の野狐丸の行動とは思えない。
むしろ、悪鬼がいるのであれば、病院を残しておいて負傷者が病院に集まったところで一網打尽でもいいような気がする。
人質を取りたかったのかも知れないが、病院である必要があるだろうか?
病人やけが人であっても呪力が使えるということであれば、逃げ出す可能性が低いぐらいしか病院で人質を取る意味などない。
それとも、他に何か目的があったのか?
そして、悪鬼と言われている悪鬼は本当に悪鬼なのか? 悪鬼であるならば、なぜバケネズミに加担しているのか? 悪鬼であっても理性的に行動する悪鬼もいるらしいからバケネズミと共闘しないとは限らないが、殺戮をこのむ悪鬼にとってはバケネズミですら殺戮の対象でしかない気がする。
そこがどうなっているのか?
さらに途中、早季の意識が混濁した際によぎった、
「水路以外の移動手段」
「水車で発電された電力」
「伝声管以外の伝達手段」
「早季はわたしが守ってあげるから」
という言葉はどういう意味を持つのか?
神栖66町では水路をメインの移動手段として使っている。その水路を使えないために早季は町へ急ぐことが困難だった。
そして、神栖66町の水車による発電は、公民館の放送にのみ使われている。
伝声管以外の伝達手段は公民館の放送のみ。伝声管はバケネズミの爆破などの攻撃により使用不可能になっているため、伝達手段がない。統制も取れない。
あの水生バケネズミのミュータントの爆発は人間に大打撃を与えた。
だが、野狐丸の真の狙いは...
なかなかに、周到な気がしてならない。
ヒトモドキという人間に似せたバケネズミを人間に紛れ込ませ、人間の班と思わせた集団から攻撃を受ける。または、班員に化けて攻撃する。
もちろん、ヒトモドキとしたバケネズミはほぼ討伐される。
しかし、その効果は大きな不信を人間たちにばら撒き、同士討ちを引き起こす。
相打ちである必要はない、あやまって人間を殺せば殺した方も「愧死」するのだから。
夕立ぐらいに思っていた雨雲は台風という強大な姿を現し始めたようだ...
(以下、あらすじ)