2013/06/29
今回の第13話のタイトル「再会」。すごいですね。
始まったときは、何よりも守を見つけることが先決で、見つけさえすれば多少の困難があっても、事態は好転すると早季たちも手前も思っていました。
ところが、今回は事実が積み重ねられるほどに、守を救うことが難しいということを知らされていくような展開でしたね。
だから、タイトルを最後に持ってきた。
その理由を以下にまとめて見ました。
第一に、守が八丁標を越えるということ。これは、臆病でルールに反することを極端に恐れていた守にとって、大きな意味を持ちます。
許可のないものが八丁標を出ることは、固く禁じられていますし、八丁標の外は恐ろしいところと教わっているわけですから、覚ならいざしらず、守はよほどのことがない限り、出るはずはない。なのに、出た。
それ以上の恐怖が、守の身に迫っているということです。
第二にバケネズミが絡んできたこと。
ここで、追跡側の三人にも実はバケネズミに対する認識のズレがあるように思います。
真理亜がバケネズミに対し一番猜疑心が弱いといってもいいでしょう。
ケモノとは思っていても、人間には従順であり、人間に危害を加えるとしても犬が人を噛むことの延長上でしかみていない。
覚は、早季を土蜘蛛やスクィーラ、奇狼丸などと出会い、生死の危険を感じる体験をしているので、真理亜ほどはバケネズミを軽んじてはいない。
早季は、覚と体験を同じくし、かつ、富子からバケネズミを使って人を殺したことも聞いている。バケネズミそのものだけでなく、人間の命を受けたバケネズミのことも警戒している。なおかつ、スクィーラの狡猾さもつぶさに感じている。
その違いが、守に会った後のスクォンクに対する態度にあらわれていたのではないか。
とにかく、バケネズミが絡んでくることは緊迫した状況になるということ。情報が町に流れる可能性も高くなる。
最後に、守がネコダマシに襲われていたという事実。そして、以前ネコダマシを見ていたという事実。
これは守は町に戻れば確実に処分の対象となるということ。
それに知ってはいけない事実を知っているということ。
早季たちは、専ら早季の行動を観察するためとはいえ、監視されていた。
それに一連の記憶も消されているということは、守が知っているということを、教育委員会なり、倫理委員会なりが知っていてもおかしくはない。
連れ戻すことは守を殺すこととなる。
しかし、今回の中にも守の危険性が示唆されていたように思う。
ネコダマシに対して行った守の行動がそれだ。
守は精神的に追い詰められたり、恐怖に支配されると、対象を確認することもなく、呪力を発動する。
これは非常に危険である。
まず、今回の吹き溜まりの雪をどける作業で見られたような、呪力のバッティングに配慮することなく呪力を行使してしまう危険をはらんでいる。
それに対象を確認せずに呪力を発動するということは、攻撃抑制や愧死機構に制限されることなく対人攻撃できてしまう可能性があるということ。さらに、そのまま確認しなければ愧死することもない。
条件付の悪鬼のようなものだ。
また、対象を確認せずにイメージを明確にせず発動する呪力は、意識的な呪力というよりは無意識の呪力と見ることができる。これを常習化すると、バッドスピルの可能性も認められるといえる。
つまり、最終的には業魔化する可能性も否定できないわけだ。
覚は守を穏やかで、協調性があると言っていたが、精神が不安定なのは明らかであり、精神のバランスを崩せば思わぬ一面が現れ、悪鬼化しないとも限らない。
そういう意味では、守はあらゆる危険要因を持ち合わせる「よわい輪」なのだ。
その守を守ることはできるのか。そして、守のこととなると過敏に反応する真理亜はどうするのか?
(以下、あらすじ)