じわじわ

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マスク、申請用紙、いずれも届きました~!
いやぁ、スピード感。
でも、聞いてみると宮城でもさまざまです。
まだ、どっちも届かないという人もいれば、給付金の振り込みも終わったところもあるようです。
さまざまなスピード感を持って行われている行政サポート。
ところで、なんか痛々しいから首相、もうマスクは普通のでいいです。
なんかつけ方も雑になってきてマスクが曲がっていたりするから無理しなくてもいいんじゃないかと思いますよね。
別に責めないですよねぇ。

それよりも、東京と神奈川だけだったのが、じんわりと感染が首都圏に広がっているかのようです。
決して爆発的ではないのは皆さんががんばっていらっしゃるところで、ゆっくりと広がる分には想定の範囲内なんだと思います。
なるべくゆっくりと広がって、その間に多少なりとも経済を回せるだけ回して、いざとなったら引き締め。
その繰り返しでワクチンの実用化を待つという作戦。
それしかないとは思います。
でも、コロナウイルスに感染して症状に苦しんだり、亡くなったりする人が出てしまうので、他になにかいい方法はないかとも思ってしまいますよね。

あと、今回のコロナ禍で多くの人の公衆衛生意識が高まることはいいことだと思うのですが、そのまま緊急時の極端な生活様式が定着してしまうようなことは両刃かなぁとも思います。
昨今でも、同じ鍋を食べることとか、ペットボトルの回し飲みなど、嫌悪感を抱く人たちが増えていると聞きます。
もちろん、気持ちはわかりますし、悪くはないと思うのですが、衛生をきちんした生活に慣れすぎてしまうと、自由に公衆衛生を徹底できない環境になった時に脆弱性が出てしまうように思います。
たとえば、震災や豪雨などで避難生活をしなければいけない特殊な状況では、とても衛生的な生活になれていると、お風呂に入れなかったり、そこまで清潔な生活を求められないことが多くなりますよね。
そうなった時に、あまり気にしない人に比べてその分ストレスを多く抱えてしまうような気がします。
もちろん、そういう時はそういう時で切り替えられる人も多いとは思いますが、ただでさえストレスが多い環境に置かれますから、その時になって自分が思っていた以上に切り替えられないということがない方がいいように思います。

公衆衛生は、きれい、汚いではなく、何に対して何が安全でどの程度のリスク許容がベターであるかということが重要のように思います。
もともと、きれい汚いは小さな子供に公衆衛生の基礎を教えるための方便でしかないですからね。
英語学習の番組で以前に言っていましたが、clearだからといってcleanとは限りませんから、きれいに見えるグラスでも危険なウイルスが付着していることはあり得ることですから。
もちろん、印象的にきれい、汚いの判断をしている場合の話ですけどね。

なるべく、公衆衛生もバランスを意識しながら実践するのが望ましいと個人的には思います。
そういえば、前回お話しした消毒液を手で押さない話にしても、対象がノロウイルスの場合には手では押さない方がいいと思います。
ノロウイルスでは通常、アルコール消毒について抵抗性が高いとされているので、ある程度長い時間つけていればいいですが、軽く吹き付けてのばしただけでは効果が薄いとされています。
ですから、手洗いの方が推奨されていますよね。
こういう場合には、できるだけウイルスをつけたくありませんから、手で押さないという方法が有効だということですよね。

私自身は、自分のできる範囲でですが正しい情報を選び、より良い対処をして、お上のマスクや給付金にはできるだけ当てにせずに頑張っていきたいと思います。(笑)
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