STAP インサイド

なにやら、はやっているので跳びついてみた話題。

再生医療は多くの人たちに失ったものを取り戻させる可能性を秘めた最新医療。

そして、障害を持つ者との距離を遠ざけ、いたわる優しさを失う可能性を秘めた最新医療。

もちろん、すべて否定的なわけではなく、どちらかと言えば肯定的。

ただ、再生医療は術であって倫理観を左右するものではない。

最終的には人の問題。

だが、そこまで人を信じられない自分がいる。

自分自身すら信じられなのだから、自分に甘くなりがちで他人に対して厳しい利己的な自分には到底信じることができない。

生きていて当たり前、死んだり、何かがあれば誰のせいだと騒ぎ立てる人がいる。

自己の責任も鑑みず。

そういう人間にその術は扱えるものなのだろうか?

多くの人はそんなことはないのだろう。

大丈夫なのだろう。

でも、自分としては弱い立場の人間を無思慮な他者が自分の中の悪意も自覚せずに傷つける様をあまり見たくはない。

わずかであっても。無性に腹が立って仕様がない。

だから、この流れを受け入れながらそういうことが行われないための方法でも考えるとしよう。

そういえば、話はあまり関係がないがクローンの話でこんなことがあった。



その人は、犬を飼っていてとてもかわいがっている。

そのかわいがっている犬は、しかし、老いてきて元気もなくなっているのだと言う。

その人の話では、韓国では日本円で200万円ほどの費用でペットのクローンを作り出すのだと言う。

溺愛していたその人は、自分に「どう思う?」と聞いてきた。

即答でこう答えた。

「俺は絶対しないです」

「でも、〇〇〇ちゃんがまた若くなって戻ってきてくれるんだよ」

気持ちは痛いほどわかった。

「いえ、それは〇〇〇ちゃんではなく、〇〇〇ちゃんに世界で一番良く似たちがう犬です。戻ってくるわけじゃありませんよ。」

「でも...200万なら、絶対無理な金額じゃないし」

とても、切なくなった。愛するものの死が受け入れられないほどつらいとこうなってしまうのかなと思った。

だから、『クローンがきても、死骸は残りますよ』とも『供養することもしないのですか』とは言えなくなってしまった。

気持ちをすり替えてでも直面したくないものがあると言うことは、幸せであり不幸である。

それに対して、善悪を当てはめるつもりもないが自分としては死に対しては正面から受け止めたいと思う。

冷たいだけかもしれないけれど、死が生を救っているともいえるのではないかと考えたりもする。

生まれることのすばらしさは、死の切なさややりきれなさとついになるものだと思うから。

その人は、しかしその時限りでその話を自分にすることはなかった。


考えのみを書いて、説明が少なく意味不明だったことはお詫びします。

ただ、こういうことを書くのは苦手で冗長な文に耐えられないのですみませんでした。

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コメント

No title

 先進医療と言うのは、人間のおこがましさを感じる。そこまでしていいのか?自然に死ぬのも大切ではないか?

 線引きは難しいけれど。

Re: No title

ひねくれくうみんさんへ

>  先進医療と言うのは、人間のおこがましさを感じる。そこまでしていいのか?自然に死ぬのも大切ではないか?
>
>  線引きは難しいけれど。

そうですね。
感情論によれば、どんな問題も二の次にして目の前の人を助けるべきなのかも知れない。
けれど、死をないがしろにするのも人間として間違っている気がしてならない。
本当に落としどころが難しいですよね。

コメントありがとうございました。
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