轢かれる事に引いてしまう

どうなんだろう?
昔からあることだけど、革新的な手法なんかが編み出されると、みんながそれを多用する。
それ以前からあったのかもしれないけれど『ケイゾク』で多用されていた、中央の人物に寄ると、背景が後ろに下がるような映像なんかが思い出されます。(分かりますかね?)

単純な機能なんかだともっと顕著で、ついてこれる世代が読んでくれることを祈るばかりだが、スーパーファミコンね。
画面を回転させて拡大縮小することが容易になった途端、あらゆるソフトがそれを使い始めた。
回転回転また回転だったね。

さて、本題。
『ソロモンの偽証(前編)』を見たのだが、内容は面白かったです。
撮る方も細やかに撮っていたと思うし、なによりクラスがタレントで埋め尽くされるような変な小奇麗さがないのがよかったと思う。
見ていていろいろ想像できる、心情的な片鱗を見せつつも後半につながる大事な部分をうまく隠したのであろう演出もいいなと思った。
ただね、轢かれるシーンが最近多すぎて。
昔に比べて、しっかりと轢かれる瞬間が見えるように轢かれるんだけど、インパクトはあるものの、いくつも見ていくとそのせいで逆に分陳腐化するのも早い。
轢かれる事に引いちゃうようになる。
もうちょっと作品ごとでの判断のほかに、CGなどによって使われるシーンの映像コンテンツでの頻度なども判断していく時代になったのではないかとも思うのだけれど。

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コメント

No title

電脳高架橋さんへ

こんにちは^^

ファミコン、懐かしいです。
我が家は、両親がゲームを与えない家だったので
友達の家で遊ばせてもらったり、
ゲームウォッチ(ふ・古っ! 知ってますか?)
などで我慢していました^^;

人って新しいものに驚き食いついても
すぐに慣れて飽きてしまいますよね。
アイドルの入れ替わりの激しさや
一時期流行ったご飯のお供なども、そういった現象と似ているように
思います。
あっ、ちょっとズレてますけれど^^;

Re: No title

yukoさんへ

> こんにちは^^

こんにちは♪

> ファミコン、懐かしいです。
> 我が家は、両親がゲームを与えない家だったので
> 友達の家で遊ばせてもらったり、
> ゲームウォッチ(ふ・古っ! 知ってますか?)
> などで我慢していました^^;

ゲームウォッチは懐かしいですね。
当時流行ったファイヤーが欲しかったのですが、買えず、ワイドスクリーンになってからオクトパスと画面が二つのドンキーコングを持っていました。
最初のやつは後ろの金具で立てられるんですよね、使わないですけど。
ウチもしばらくはファミコンありませんでしたから、友達の家に入り浸っていました。
かなり、迷惑だったと思います。

> 人って新しいものに驚き食いついても
> すぐに慣れて飽きてしまいますよね。
> アイドルの入れ替わりの激しさや
> 一時期流行ったご飯のお供なども、そういった現象と似ているように
> 思います。
> あっ、ちょっとズレてますけれど^^;

そうですね、日本人は自分も含めてそういう感じがありますね。
だから、轢かれるシーンも仕方ないのかもしれないですね。
一方で、そんなものとは無縁にひたすら熱中できるものを持っている人はうらやましいと思ったりもしますね。

コメントありがとうございます^^
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