ノイズ

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怪我をした時、その人に駆け寄って親身になって『大丈夫?』という人がいる。
その後ろで取り巻いている人がいる。
その中でも心配している人。
必要があれば手伝おうとしている人。
興味本位な人。
さまざま。
そうかと思うと、見向きもせずに『我、関せず』で時間を潰している人がいる。
怪我した本人も、怪我が深刻ではなく『大丈夫?』という心配を受けて自分が心配されることに安心する人がいる。
逆に、深刻だったり、激痛に苦しみ、『大丈夫?』という返事の要求を煩わしく思っている人がいる。
それでも『ちょっと、ムリかも?』と控え目に周りを気づかう人。
それでも周りから浴びせられる『大丈夫?』には本来の意味があるんだろうか?
きっと、『心配しているよ?』という意思表示なんだろう。
でも、数が多いと煩わしいだけになってしまうのに。

昔、同僚から聞いた話。
自分はそんな事は気にも留めていなかったから、気づかいもできていなかったんだろうと思うけれど。
残業せざるを得なくなっている自分に、定時が終わって帰り支度を済ませた先輩が『大丈夫? 何か手伝う事ある?』とみんな親切に聞いてくれる。
だが、よく見るとその『大丈夫?』には2パターンあるのだそうだ。
一つは、とりあえず荷物は持っているもののタイムカードを押す前に聞いてくれている人。
もう一つは、すべて済ませてタイムカードも押して聞いてくる人。
前者はやはり親身になってくれているので、『大丈夫です。お気遣いなく』と言っても何かしら探して手伝ってくれるのだそうだ。
悪いと思いながらお願いすれば、電源を切ってしまった自分のパソコンを再び起動させてやる気を見せてくれる。
後者はそれほど親身になっているわけではない。
お墨付きが欲しいのだろう、『残業している人がいるときの気遣いマニュアル』に書いてあるとおりの手順を踏んでいるに過ぎないから『じゃあ』なんて言ったらちょっとしたものならまだしも、手のかかるものだったら『あっ、タイムカード押しちゃった』とか『用事があるから、ちょっとしか手伝えないけど』などとやんわり断ってくる。
それでも社交辞令という嫌な感じにしない手順と言うのは必要なもので、ほとんどの人がやってくる。
でも、気遣う気持ちも半分ぐらいは含まれているんだろうから、不満を言うのは正しくないと思う。
けれど、数が増えるとやはり煩わしくなってくる。
もちろん、自分みたいに気にせず、こっちも機械的に『大丈夫です』と言っている人間は数が増えても、それほど精神的にイライラする事はないけれど、その違いに気づいてしまうとイライラが増してしまう。

気遣う人ほど、マニュアルではなくその場その場で考えて人と接していくのだろう。
そういう人から見ると、こういう時はこうしておけばいいというような言葉が、発する人に悪意がなくても刺さってしまうのだろうと思う。
自分は人に個人的なことをあまり聞いたりしない。
一般的にはそうだからと言って、個人的なことをそれに則って批判、いや、批判でなくてもお決まりの感想を持ちたくないからだ。
話したいと思えば、相手が話してくれるだろうし、話したくないと思えば相手に話しづらい思いをさせてまで話させる必要はどこにもないと思うからだ。
ただ、世の中にはいろんな人がいて話好きの人にとっては自分のような人間は基本的に話さないし、話しづらい人になっているようにも思う。
そういうことを注意していると言っても、やはり気づかないうちに相手を分かったような気になって同じような言葉を言ってしまっているような気もする。
だから、そこらへん無頓着にぐいぐいと行く人の方がよかったりする面も多いと思う。
ただ、そういうノイズを判別できる人は、ノイズに傷つけられやすいけれど、人は多かれ少なかれそういったノイズ傷つけられて生きていて、それを上手にかわせるような人は、社交面としては精神的に安定していて対する人に安心感を与えるのかなと思ったりもする。
でも、傷つく人は繊細で人に対して細やかな気遣いができる人でもあると思うから、そういう人が魅力的だともいえると思う。

元気のなさそうなそういう魅力的な人が、ノイズに負けずに元気になってくれたらと思うばかりです。

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